2018.03.28-30
The 25th International Conference of Europeanists パネル"Citizenship and memory in Eastern Europe and East Asia: A Comparison”

2018年3月28-30日、The 25th International Conference of Europeanistsで、パネル"Citizenship and memory in Eastern Europe and East Asia: A Comparison”を開催しました。パネルの内容は以下の通りです。

  • 趣旨説明
  • 橋本伸也(関西学院大学)
  • 報 告1
  • Ideology or Racism: Historical Origin of Immigration Control Bureau in Postwar Japan 
    朴沙羅(神戸大学)
  • 報 告3
  • Memory of ‘Compatriots’ and Defining the Boundary of Korean National Community  
    李スンミン(早稲田大学・大学院)
  • 報 告3
  • History, ‘Christian Nationalism’, and Neoliberal Politics in Contemporary Hungary 
    姉川雄大(千葉大学)
  • ペーパー
  • Citizenship and (re)Imagined National Communities in Post-Communist Romania and Hungary
    Constantin Iordachi (中央ヨーロッパ大学)
  • コメント
  • Carol Gluck(コロンビア大学、アメリカ)
    Zuzanna Bogmil(社会学研究所、ポーランド)

2018年3月28日~30日にかけてシカゴで開かれた第25回International Conference of Europeanistsに、本大会のテーマであるEurope and the World: Mobilities, Values and Citizenshipに合わせ、Citizenship and Memory in Eastern Europe and East Asia: A Comparisonと題するパネルを組織して参加しました。
橋本伸也氏(関西学院大学)による趣旨説明の後、朴沙羅氏(神戸大学)による第一報告Ideology or Racism: Historical Origin of Immigration Control Bureau in Postwar Japanでは、第二次世界大戦終戦直後の日本において、朝鮮人が非正規入国者とされていく過程が資料とインタビューに基づき明らかにされました。李スンミン氏(早稲田大学・大学院)による第二報告Memory of ‘Compatriots’ and Defining the Boundary of Korean National Communityでは、在外朝鮮人をめぐる記憶と語りの変化にともなって、彼らと韓国の法的・感情的関係も変化する様子が描かれました。これらアジアの事例に対し、姉川雄大氏(千葉大学)による第三報告History, ‘Christian Nationalism’, and Neoliberal Politics in Contemporary Hungaryでは、現在のハンガリーにおいて、政府が発信する歴史認識が、非ハンガリー人、難民、貧困者などの排除の論理と表裏一体になっていることが指摘されました。こうしたハンガリーの現代政治の分析を国籍政策の面から補完するはずであったConstantin Iordachi氏(中央ヨーロッパ大学、ハンガリー)は諸事情により参加がかなわず、ペーパーのみでの貢献となりました。
これらに続き、司会の小森宏美(早稲田大学)がエストニアとラトヴィアの事例について補足的な情報を提供した後、Carol Gluck氏(コロンビア大学、アメリカ)とZuzanna Bogmil(社会学研究所、ポーランド) からのコメントの中では、東欧でもアジアでも冷戦期に凍結されていた記憶が解凍されたこと、また、現在の国家/国民関係については、国籍のエスニック化が広く共通する現象として見られ、依然として民族帰属に基づく国籍制度が優勢であることが強調されました。
ヨーロッパを対象とする学会において、アジアとの比較の視点を持ち込んだ本パネルはユニークであったために関心を呼び、また、この機会に近しい問題関心を持つ各国の研究者らとの意見交換を行うことができました。

2018.03.27
『紛争化させられる過去』が刊行されました。

本プロジェクトの成果として、橋本伸也編『紛争化させられる過去----アジアとヨーロッパにおける歴史の政治化』が岩波書店より刊行されした。本プロジェクトに先行した国際共同研究「東中欧・ロシアにおける歴史と記憶の政治とその紛争」(科研基盤(B))が開催した国際シンポジウムで行われた研究報告と、東中欧・ロシアを越えたさらに広域的な事例に関する論考を収録しています。ポスト冷戦時代に世界規模で顕在化した過去をめぐる紛争化の構図をアジアとヨーロッパの事例に即して論じています。ぜひ手に取ってご覧ください。

2018.03.04
第2回全体研究会

2018年3月4日(日)、関西学院大学大阪梅田キャンパスで、第2回研究会を開催しました。研究会の内容は以下の通りです。

  • 第1部
  • 「『メタヒストリー』以降の歴史学」長谷川貴彦(北海道大学)
  • 第2部
  • 「遠い過去」とナショナル・ヒストリーをめぐって」
  • 報 告1
  • 「高句麗史と「国史」―近現代の日韓中の歴史論争―」井上直樹(京都府立大学文学部、高句麗史)
  • コメント
  • 「近世スペイン帝国の歴史認識の観点から」内村俊太(上智大学外国語学部)

前日のセミナーに続き、3月4日にはプロジェクトのメンバーを対象とした第2回の国内研究会を行いました。午前中には研究分担者である長谷川貴彦先生(北海道大学)が、「『メタヒストリー』以降の歴史学」と銘打った史学理論にかかわる研究報告を行い、「言語論的転回」およびヘイドン・ホワイトの『メタヒストリー』原本刊行(1973年)以降の歴史学における「転回」を「転回1.0」と「転回2.0」という二段階のものとして捉え、「大きな物語」や長期性への回帰やエゴ・コストリーにみられる主体の復権へといたる変動を確認しました。
午後には、「「遠い過去」とナショナル・ヒストリーをめぐって」と銘打ったセッションを行い、メイン・スピーカーには井上直樹先生(京都府立大学)、コメントを兼ねたサブ・スピーカーには内村俊太先生(上智大学)という二人の外部講師をお招きして、「遠い過去」がナショナル・ヒストリーの構築と現在の歴史認識紛争のなかでどのように利用されるかを考えました。井上報告は、2000年代の中韓両国間で深刻な紛争を読んだ高句麗・渤海のナショナル・ヒストリーへの「帰属」問題を、戦前の日本の植民地主義的な「満鮮」政策と関連づけて説明する、詳細かつ刺激的なものでした。他方、内村報告は、井上報告で示された論点を視野に入れつつ、「帝国」的な歴史意識の構築という観点からスペイン帝国におけるインディアスの歴史の組み込みを分析するものでした。いずれも「周縁」視されがちの地域に古く存在した政体が、後に当該地域を支配するようになった国家の歴史においていかに資源化されるのか、あるいは紛争の的になりうるのかを描き出すものでした。

2018.03.03
NHCMセミナー「ナショナル/コロニアルな記憶としての食----イランとインド」

2018年3月3日(土)、関西学院大学大阪梅田キャンパスで、「ナショナル/コロニアルな記憶としての食----イランとインド」を開催しました。研究会の内容は以下の通りです。

  • 主 催
  • NHCM
  • 共 催
  • JSPS科研基盤Aプロジェクト「イスラーム国家の王権と正統性--近世帝国を視座として」(東京外国語大学アジア・アフリカ言語文化研究所)
  • 報 告1
  • ベルト・フラグナー(オーストリア科学アカデミー)「イラン『国民料理』の形成----民族主義イデオロギーの求めるもの」
  • 報 告2
  • 井坂理穂(東京大学大学院総合文化研究科)「植民地期・ポスト植民地期のインドにおけるパールシーと食をめぐる議論」
  • コメント
  • 藤原辰史(京都大学人文科学研究所)

3月3日、関西学院大学大阪梅田キャンパスを会場に、セミナー「ナショナル/コロニアルな記憶としての食――イランとインド」を開催いたしました。ご報告は、ヨーロッパにおけるイラン学の泰斗でウィーンからお招きしたベルト・フラグナー先生と、インド西部の近現代史を専門としておられる井坂理穂先生のお二人でした。
お二人のご報告はともに「料理本」に注目し、それらが作成・普及される際のナショナルなあるいはコロニアルなメカニズムを論じられるものでした。フラグナー報告では、「国民食」とでも呼ばれるべきものがヨーロッパと西アジア・中央アジアで生み出される際の「標準化」の実相を腑分けするもので、議論される空間はひとりイランにとどまらずアフガニスタンからソ連期中央アジア諸共和国へと広がり、豊かな実例を通じてその構築性をおのずと示されました。その学識の広さには文字どおりに圧倒されました。イランと同様にウズベキスタンやタジキスタンでも国民食になっている「焼き飯」は、他とは異なる短粒種の米を使うところに特徴があり、その背後にはスターリン時代にソ連極東から中央アジアに追放された朝鮮人農民がいることを指摘されたところは圧巻でした。
他方、井坂先生のご報告は、パールシーと呼ばれるコミュニティ(イランからインド西部に到来したといわれるゾロアスター教徒)の食に焦点を当て、インドがイギリス植民地支配下にあった時代に、彼らのあいだで作成された料理本の叙述やそれらの料理が消費された動態に着目して、マイノリティとしてのパールシーのアイデンティティ構築と「食」とがいかなる相関のもとにあったかを丁寧に論じるものでした。この報告ではさらに、ポスト植民地期のインドにおける「国民料理」の想像/創造の過程やその特徴も検討されました。
コメントを担当された藤原辰史先生からは、ドイツにおける「レシピ」の歴史を簡単に振り返った上で、史料としての料理本の意義と可能性、食におけるテクノロジーの問題などが指摘されましたが、ヨーロッパの「スープ」市場におけるマギーとクノールの競争と棲み分けのごとき、食をめぐる資本主義の展開にまで話題はひろがって、じつに愉快で有意義な研究会になりました。

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2017.12.10
『せめぎあう中東欧・ロシアの歴史認識問題』が刊行されました。

本プロジェクトの活動成果として、橋本伸也編『せめぎあう中東欧・ロシアの歴史認識問題----ナチズムと社会主義の過去をめぐる葛藤』がミネルヴァ書房より刊行されました。エストニア、ラトヴィア、リトアニア、ポーランド、チェコ、スロヴァキア、ハンガリー、ルーマニア、ロシア、セルビアの歴史政治の概要と、歴史と記憶が政治化され紛争化される具体的な様相が示されています。ぜひお手にとって御覧ください。

2017.11.05
NHCMセミナー 「歴史の再構成と歴史認識の変遷―
イランソヴィエト社会主義共和国(「ギーラーン共和国」)の事例から」
  • 場 所
  • 東北大学 川内南キャンパス 文科系総合講義棟1階 ミーティングルーム1(室番号105)
  • 主 催
  • NHCM
  • 話題提供
  • 黒田卓(東北大学)
  • コメント
  • 塩野崎信也(龍谷大学)

2017年11月5日、東北大学でセミナー「歴史の再構成と歴史認識の変遷―イランソヴィエト社会主義共和国(「ギーラーン共和国」)の事例から」を開催いたしました。このテーマに関連する研究を長くされてきた黒田卓先生に話題提供をいただき、現在は隣国となり、「イランソヴィエト社会主義共和国」とも深い関わりのあったアゼルバイジャン史を研究する若手の塩野崎信也先生からコメントを頂戴しました。
おりしもロシア10月革命勃発100週年の直前の開催で、イラン国内の視点とともに、ロシア革命の世界的波及をどのように捉えるかという問題にもふみこんで議論する貴重な機会となりました。「短い20世紀」を通じてまさに政治的な変動とともに評価の変転する様子が、黒田先生からはソ連史学とイラン国内について、さらにコメントの塩野崎先生からはアゼルバイジャンの場合について紹介されました。国家体制によって深く制約される歴史と記憶の様相が提示され、たいへん意義深い研究会でした。

2017.09.19
若手研究者派遣事業②・ワルシャワ大学社会学研究院社会記憶研究室セミナー
“Japanese Perspectives on Memory in Central and Eastern Europe"
  • 場 所
  • ポーランド科学アカデミー, Pałac Staszica, Nowy Świat 72, 200号室
  • 主 催
  • NHCM
    ワルシャワ大学社会学研究院社会記憶研究室
  • 報告者1
  • 重松尚(東京大学大学院)
    “Evaluations Unsettled: Historical Views of the Genocide Center and the International Commission in Lithuania”
  • 報告者2
  • 福元健之(関西学院大学)
    “Reading the Texts of Tadeusz Isakowicz-Zaleski”

私は今回、「中・東欧諸国における第二次世界大戦の歴史と記憶」という研究課題でポーランドおよびリトアニアで調査等を行った。
リトアニアでは、国立図書館で1989年から2010年までヴィルニュスで発行されていたリトアニア・ユダヤ人コミュニティの新聞『リエトゥヴォス・イェルザレ』(Lietuvos Jeruzalė)を調査した。この資料には反ユダヤ主義関連の事件に対するユダヤ人コミュニティの声明などは掲載されていた。当初は在イスラエル・リトアニア系ユダヤ人団体の歴史記憶に関する声明などもこの『リエトゥヴォス・イェルザレ』に掲載(もしくは転載)されていると期待し、それに関する記事を探したが、期待していた内容を含む記事等は残念ながらあまり見つけられなかった。今回資料調査にあたっての課題の一つとしていた、リトアニアに住むユダヤ人とイスラエルに移住したリトアニア系ユダヤ人のあいだでリトアニアにおけるホロコーストの記憶に違いが見られるのかという点については、今後別の観点から調査を行いたい。なお、同図書館では関連する二次資料の調査・複写も行った。
ポーランドでは、ワルシャワ大学図書館とポーランド国立図書館で資料調査を行った。ワルシャワ大学図書館ではポーランド国内で発行されている学術雑誌を中心に資料調査を行い、合わせて関連する二次資料の調査・複写も行った。国立図書館では1930年代のポーランドにおけるポグロムに関する二次文献の調査を行った。
図書館が休館となる週末は、各地の歴史博物館の視察を行った。訪れたのは、第七要塞博物館、第九要塞博物館(以上カウナス)、ジェノサイド犠牲者博物館(ヴィルニュス)、ポーランド・ユダヤ史博物館、パヴィアク刑務所博物館、カチン博物館、ワルシャワ蜂起博物館、ワルシャワ博物館(以上ワルシャワ)、闘争殉教博物館(トレブリンカ)、マイダネク国立博物館、ルブリン城博物館(以上ルブリン)、第二次世界大戦博物館、欧州連帯センター博物館(以上グダンスク)である。また、合わせて歴史に関わる記念碑も訪れた。各地の博物館における歴史の描写の違いなどから歴史に関する記憶について学ぶことも多かったが、それをどのように学術的な成果につなげていくのかが今後の課題となる。
9月19日にはワルシャワ大学社会学研究院社会記憶研究室のセミナー “Japanese Perspectives on Memory in Central and Eastern Europe” にて口頭発表を行った(発表のタイトルは “Evaluations Unsettled: Historical Views of the Genocide Centre and the International Commission in Lithuania”)。セミナーにはルブリンやヴロツワフなど他の都市から参加してくださった方もおり、予想を上回る数の参加者に恵まれた。3人のコメンテーターからは辛辣なものも含めて多くのコメントをいただいた。いずれも今後研究を進めていくにあたって重要な指摘であり、申請者の現在の研究が抱える新たな課題も発見することができた。このセミナーの成果をもとに、さらに研究を進めていく所存である。
そのほか、9月14日にはルブリンの東中欧研究所を訪問し、研究所所長や研究員の方々と面会し意見交換を行った。研究員の方々の興味関心の対象が私の研究にも近いことが分かり、共同研究の可能性も感じられた。今後、何らかの形で東中欧研究所と接点を持ち続けられればと思っている。

私は、2017年9月12日から10月17日までポーランドで調査等を行いました。滞在した都市は、ワルシャワ、ルブリン、ウッチ、クラクフです。
研究課題名は「祈りの共同体――東中欧における記憶政治と宗教」で、ポーランドとウクライナの間で歴史認識をめぐる争点となっている1943年ヴォウィン事件をケース・スタディに、東中欧における記憶政治と宗教の関係について考察することが滞在の目的でした。現在準備している博士論文の内容とは異なるのですが、今日のポーランドにおいて歴史/過去が政治的文脈のなかでどのように語られるのかに関心をもち、このような課題を設定しました。ポーランドに渡航する前から、ワルシャワ大学のM・グウォヴァツカ=グライペル氏は図書館や博物館の情報をくださり、また研究上の相談にも乗ってくださりました。下記のセミナーを開催することができたのも、グライペル氏にお力添えいただいたおかげです。
ポーランドには、ヴォウィン事件の記憶をめぐるオピニオンリーダーとしてアルメニア・カトリック教会のT・イサコヴィチ=ザレスキ神父という人物がおり、様々な新聞や雑誌で議論を展開しています。今回はこの神父の言説を取り上げることにして、9月19日にポーランド科学アカデミー(ワルシャワ)で開催されたセミナー“Japanese Perspectives on Memory in Central and Eastern Europeで、“Reading the Texts of Tadeusz Isakowicz-Zaleski”と題する報告を行いました。当日は、グライペル氏をはじめ、T・ストリイェク氏やJ・ヴァヴジニャク氏、Z・ボグミウ氏、橋本伸也氏、衣笠太朗氏から有益な示唆を得ることができました。また、東中欧研究所所長M・フィリポヴィチ氏や、ルブリン・カトリック大学のW・オサドチィ氏からも報告原稿にコメントをいただきました。こうした意見交換を通じて、これから考えるべき課題をみつけることができ、セミナー後はそのために重要な資料や研究文献を集めることに取り組みました。
そのために利用したのは、国立図書館、ワルシャワ大学図書館(以上ワルシャワ)、マリア・キュリー=スクウォドフスカ大学図書館(ルブリン)、ウッチ国立文書館、ウッチ県公立図書館(以上ウッチ)、ヤギェウォ大学コレギウム・メディクム付属医学図書館(クラクフ)、です。ここでは派遣事業の研究課題だけではなく、現在準備している博士論文のための調査も行うこともできました。
最後に訪れたクラクフでは、第3回在外ポーランド史研究者会議(10月11-14日)に出席しました。会議の中では、ポーランド、ドイツ、オーストリア、ウクライナ、ベラルーシ、リトアニア、アメリカの研究者らが、近世ポーランド・リトアニア共和国の記憶をめぐって議論するというパネル企画があり、議論に大いに触発されました。
もちろん、歴史対話の進んだヨーロッパと遅れたアジアという図式に沿った理解は批判されるべきであって、上の会議では企画が成立するための人選があったであろうことは言うまでもありません。そもそも会議自体がポーランド政府からの支援を得て国策としての側面をもっており、居心地の悪さを感じることもありました。しかし、上記のパネル企画での議論が予定調和的に進んだとは思えません。ちょうど、T・コシチューシコ没後100周年を契機にベラルーシとポーランドとの間でコシチューシコをめぐる記憶の対立が起きており、この企画でも、ベラルーシの研究者がコシチューシコを「ベラルーシ人」だというと、ポーランドの研究者はそれには反対していました。参加は自由で録画さえされていたのに、それぞれの発言に何らかの制限があったようにはみえませんでした。ヨーロッパを美化せず、あのような場を現代のグローバル化された世界に位置づけるとしたら、それはどのようなものになるのか。これもこれから考えたい課題の一つです。
このように、今回の滞在では非常に濃い時間を過ごすことができました。滞在期間中に入手できた文献を読み、また知り合えた研究者と議論を重ね、より良い研究を目指そうと思います。

2017.09.12
若手研究者派遣事業①・ルール大学ボーフムにおけるコロキアム
  • 場 所
  • ルール大学ボーフム ドイツ研究所 部屋番号:GB 04/86
  • 主 催
  • NHCM
  • 共 催
  • ルール大学ボーフム社会運動研究所およびドイツ研究所
  • 報告者
  • 長沢優子(東京大学教養学部/総合文化研究科教務補佐)
  • 報告タイトル
  • 「1918年から1933年のドイツとオーストリアの合邦運動における文化事業:大ドイツ的国民意識形成の努力」(„Die Kulturpolitik der Anschlussbewegung in Deutschland und Österreich 1918-1933: Im Ringen um ein „großdeutsches" Nationalbewusstsein“)」

 私は今年度「グローバル社会におけるデモクラシーと国民史・集合的記憶の機能に関する学際的研究」の若手研究者提携外国研究機関派遣事業によってドイツでの史料調査とルール大学ボーフムでの研究発表の機会を頂いたので、その成果についてここに記したい。私は現在、1918年から1933年のドイツとオーストリアの合邦運動における合邦推進団体(オーストリア・ドイツ民族同盟 Österreichisch-deutscher Volksbund およびドイツ・オーストリア作業委員会 Deutsch-österreichische Arbeitsgemeinschaft、オーストリア・ドイツ作業委員会 Österreichisch-deutsche Arbeitsgemeinschaft)の文化政策を博士論文のテーマとして研究している。
 まず史料調査についてであるが、今回の現地調査の大きな目的の一つは合邦推進団体の地方支部の史料を収集することであった。というのも私はこれまでも何回か現地調査を行い、それらの団体の本部や外務省など中央官庁の史料を中心に、主としてベルリンとウィーンに所在する史料を収集してきたが、当時の独墺合邦問題には地方の連邦主義、分離主義的運動も絡んでおり、単に独墺二国間の関係だけではなく地方の動きも考察に入れる必要があるからである。今回の派遣では十分な滞在期間と旅費を認めて頂くことができたので、これまで調査することを断念していた史料の所在地にも赴くことができた。具体的にはベルリン(ドイツ連邦文書館)のほか、フランクフルト(フランクフルト市史研究所)、ミュンスター(ノルトライン・ヴェストファーレン州文書館ヴェストファーレン部門)、コブレンツ(ドイツ連邦文書館)、ミュンヘン(バイエルン州立文書館、バイエルン州立図書館)、ライプツィヒ(ドイツ国立図書館)の各地で調査を行った。
 今回訪れた地域は、例えばカトリック勢力が強く、炭鉱で働くオーストリア人労働者も多く居住していたライン・ルール地方や、南部のバイエルン、神聖ローマ帝国時代以来の「大ドイツ的」伝統を持つ商業都市フランクフルトなどそれぞれ特色があり、これらの地域のベルリンあるいはオーストリアとの間の政治的、心理的距離もそれぞれ異なった。それらの違いが合邦運動の中で立ち現れてくるのであるが、閲覧した合邦推進団体の地方支部の史料やその会員の遺稿からは、ハプスブルク君主国の崩壊を受けて第一次世界大戦後にドイツ各地に設立された独墺合邦を要求する在独オーストリア人とその支援者の団体が次第に全国的な合邦推進団体に発展・組織化されていく様子や、各地の合邦推進団体の会員であった議員らが団体の全国化にあたってそれぞれの地域の事情を反映させようとした努力などを跡付けることができた。全国的な合邦推進団体が成立する以前の1920年代初頭までの地方における合邦運動については史料も先行研究も乏しく不明な点が多かったので、今回の調査で貴重な成果を得ることができた。
 そして提携機関であるルール大学ボーフムでの研究発表については、派遣が決まった春頃から準備と交渉を開始した。これまでに私は所属大学や研究支援機関が企画準備した国際会議での発表経験はあったが、この若手研究者派遣事業の趣旨の一つは自力で海外の研究者と交渉や企画立案をし、研究ネットワークを構築できる若手研究者の養成ということであり、今回初めてその経験を積むことができた。まずルール大学ボーフム社会運動研究所のStefan Berger教授に連絡を取ったところ、私の研究テーマを鑑みて同大学のドイツ研究所(Institut für Deutschlandforschung)のFrank Hoffmann博士を紹介して下さり、社会運動研究所とドイツ研究所との共催でコロキアムを開くことになった。
 コロキアムでは私の博士論文の概要とこれまでの成果についてドイツ語で報告した(一部英語も使用した)。約50分間の報告後、出席者と質疑応答を行った。多くの教員・学生の方々が学期開始前の休暇中でもあるにも拘らず集まって下さり、たくさんの質問やコメントを得て、質疑応答はおよそ1時間半にわたった。「自国史」としてドイツ史を専門としている人々の前での長時間の報告と議論は私にとって大きな挑戦でありプレッシャーも大きかったが、自分の研究に現地の研究者や学生たちから大きな関心と評価を得られ、また彼らと対等に議論できたことは、私が今後研究を継続していくにあたって非常に大きな自信と励みとなる経験になった。またこの機会に知己を得たボーフムの研究者たちとは帰国後にもメールをやり取りし、今後の交流を約束したほか、具体的な研究上のアドバイスも頂いた。今回の経験をもとに、外国語能力のさらなる向上(議論が個別の事実関係を超える概念や議論の枠組み等に及んだ際はその必要性を痛感した)や研究の深化を今後の課題として、今後また国際的な学術交流の場に挑戦してみたいと思う。

2017.08.03-04
2017年札幌国際会議「ボーダー・ヒストリー」

2017年8月3日から4日にかけて、北海道大学スラブ・ユーラシア研究センターで、境界をめぐる研究の諸相に関する国際会議が開催された。基調講演のStefan Berger氏は、具体例として博物館の展示を挙げながら、境界を動的にとらえ、社会的、経済的、法的、歴史的、あるいはジェンダーの視点から考察する枠組みを提示した。そこには、境界を、単に紛争の根源としてのみならず、ひとつの新しい政治や社会の可能性としてもみる視点があったように思えた。また、もうひとりの基調講演者である岩下明裕氏は、自身が関わっている日本の国境隣接の各国の地方自治体の交流の様子を紹介した。ロシア、台湾、韓国などとの国境をめぐる政治的対立を、一般市民レベルの交流の蓄積によって徐々に解決の方向へと向かうような試みは、新鮮であり、挑戦的であった。どちらも質問が途切れることはなかったことが示すように、研究のテーマ、地域、専門にかかわらず、「境界」というテーマは多くの議論を引き起こすキーワードであることが明らかになった。
個々の報告の内容も多岐に渡った。古代ローマ帝国、中世ドイツから、北方四島、近代中国、現代ポーランド、鴨緑江、アムール川、フィンランドなど、地域も多彩であり、また、ジェンダー、食、資本主義、叙事詩、暴力、記憶など、テーマもさまざまであったし、コメンテーターもあえて専門ではない研究者を設定していたため、それがかえって議論をユニークにしていたと思う。全体の印象として感じたのは、境界の研究をするための構えである。
 それは、第一に、学問の境界を取り払わなければならないこと。第二に、フィールドワークと理論構築の往復のなかで進めなければならないこと。第三に、中心の視線の政治性を相対化すること。以上の三点がうまくからむと、今後の境界をめぐる研究はさらに展開していくように思われた。

藤原辰史、京都大学人文科学研究所)

8月の3日から4日にかけて北海道大学スラブ・ユーラシア研究センターで開催された国際会議「ボーダーヒストリー」は、そのタイトルが示す通り、西洋近代的な「外交」によって決定された「国境」が出現する以前の、複数の勢力の影響下にあるような、あるいはどの勢力の影響下にもないような「辺境」地域に焦点をあてたものであり、様々な時代・地域における「辺境」の事例が提示された会議となった。筆者は19世紀末から20世紀初頭におけるイギリスの植民地である香港の歴史を専門としているが、中国人を統治するうえでイギリス人がどのように制度を適応していくのか、イギリスの制度の中で中国人がどのように生活していったのかを考えることが重要になる香港史において、「ボーダーヒストリー」の概念は大きなヒントを与えてくれるように感じた。
様々な地域・時代と書いたが、スラブ・ヨーロッパ研究者を中心とした本会議において実に4本もの報告が中国の清朝とその周辺地域を扱っていた点は注目に値する。東洋史・中国史研究の見地からすると、中国とその周辺地域との対外関係の枠組みについては、フェアバンクが「中華世界秩序(China’s World Order)」という枠組みを提唱して以来今日に至るまで中国史において最も議論されてきた問題の一つと言っても過言ではない。特に清朝は、満州族によって(すなわち漢民族以外によって)建てられた点、アヘン戦争以降徐々に近代的外交体制に組み込まれていく点などから重要な王朝である。制度的枠組みの解明に偏りがちであった中国の対外関係史だが、「ボーダーヒストリー」の概念に触れることで近代的外交体制以前(あるいはその過度期)の周辺地域との関係性をより重層的に捉えることが可能となるであろう。
一方でこの観点からすると、本会議に東洋史・中国史研究者がほとんど参加していなかったことには一抹の寂しさを感じた。昨今より広範な地域を視野に入れた分析が重要視されている歴史学においては、今回のような概念をテーマとした会議の存在は今後さらに影響力を持つことになる。それぞれの研究者がより広くアンテナを張り巡らせることが必要になってくるだろう。

小堀慎悟、京都大学大学院文学研究科東洋史学専修博士課程)

2017.06.03-04
第8回東アジア・スラヴ=ユーラシア国際学会

第8回東アジア・スラヴ=ユーラシア国際学会(ソウル・CHUNG-ANG UNIVERSITY)にて、パネル“‘Eurasianized’ Conflicts of Memories and Histories: Reflection from East and Central European Experiences”を組みました。当日の構成は次のようになりました。

  • 趣旨説明
  • 橋本伸也氏(関西学院大学、日本)
  • 研究報告1
  • 立石洋子氏(成蹊大学、日本)
    “Disputes on History Textbooks in Russia”
  • 研究報告2
  • 福元健之氏(関西学院大学、日本)
    “An Introduction on Relationship between Poland and Ukraine in Memory Politics: Controversy over the Film “Wołyń” of Wojciech Smarzowski”
  • 研究報告3
  • 重松尚氏(東京大学大学院、日本)
    “A Hero or a Collaborator: History and Memory of Kazys Škirpa (1895-1979)”
  • コメント
  • 小田中直樹氏(東北大学、日本)
    具滋正氏(大田大学校、韓国)

歴史/記憶をめぐる紛争は決してアジアだけの問題ではなく、東・中欧を中心にヨーロッパにおいても深刻化しています。さらに言えば、アジアとヨーロッパはロシアおよび中国の間でみられる歴史政策の接合によってともに新しい展開に直面しており、過去が政治的資源としていかに利用されているのかという問題は、冷戦以後の世界における新秩序の形成局面を理解するうえで欠くことのできない検討課題となっています。このような前提に立ち、本パネル(座長・趣旨説明:橋本伸也氏)では、東・中欧の諸事例からユーラシア規模で展開される歴史/記憶紛争を捉えなおすことを目指しました。 立石報告は、歴史教科書を素材に現代ロシアにおける多様な歴史の解釈の存在を明らかにしました。福元報告は、映画をめぐる言説分析からポーランド・ウクライナ間の記憶政治上の関係を論じ、ナショナルな言説を超える対話が研究者間でも困難である状況を整理しました。重松報告では、現代リトアニアにおいて、カジス・シュキルパを独立闘争のための英雄とみなす動きが強まっていることが見えてきました。一連の考察からは、過去の解釈は多様性をもちつつも、ナショナルな解釈の持つ力が増してきていることがうかがえます。小田中直樹氏や具滋正氏、パネル出席者との質疑応答を通じて、「近代性modernity」の問題や左派から右派への「転向」問題が、今後ユーラシア規模で歴史/記憶紛争を考えるべき論点として浮かび上がってきました。

2017.04.06
ファリーバー・アーデルハーフ・ワークショップ

2017年4月6日、パリ政治学院(Sciences Po)のファリーバー・アーデルハーフ(Fariba Adelkhah)先生をお迎えして、 “The Thousand and One Borders of Iran: Travel and Identity” 題した講演会を行いました。

この講演会では、国境を越えたヒトやモノの交流によって、政府によるコントロールとは異なった次元で変貌していくイラン人のナショナル・アイデンティティについて、シリアの聖地巡礼、アフガニスタン人難民の流入、アラブ首長国連邦のドバイとのビジネスとこれによって形成された同地におけるイラン人共同体、イラン・イスラーム革命により亡命したイラン人が形成したロサンゼルスのイラン人共同体など、アーデルハーフ氏のフィールドワーク調査に基づく事例から描写されました。

中東でアラビア語、テュルク系諸語と並ぶ主要言語であるペルシア語を共通語とする文化圏は、イスラーム以前からの古い文明を誇る地域である一方、その中核的な地域を占める現在のイラン・イスラーム共和国も多様な宗教・民族によって構成されています。それにもかかわらず国民としてのイラン人アイデンティティが確固として存在していることは、宗教対立や民族対立が頻発する他の中東諸国にはないイランの特徴であり、幅広い議論を促すはずのものでした。ただ、中東地域を専門としない参加者の多くにとってはこの地域特性がやや理解しづらく、イラン人アイデンティティの構成要素などについて十分な議論の時間が取れなかったことが残念でした。