2018.11.05
若手研究者派遣事業・ルール大学ボーフムにおけるセミナー
  • 場 所
  • ルール大学ボーフム 社会運動研究所 Clemensstr. 17-19 1st floor seminar room (no number)
  • 主 催
  • NHCM
    ルール大学ボーフム 社会運動研究所
  • 報 告
  • 衣笠太郎(東京大学大学院総合文化研究科 博士課程)
    「第一次世界大戦直後のオーバーシュレージエン/グルヌィシロンスクにおける分離主義運動の展開――オーバーシュレージエン委員会とカトリック聖職者トマシュ・レギネクを中心に」(The Upper Silesian Committee and Father Tomasz Reginek: Upper Silesian Secession Following the First World War)

    ブル・ジョナサン(北海道大学スラブ・ユーラシア研究センター 助教)
    「第二次世界大戦後の人口移動に関するミュージアム展示の比較研究―ドイツと日本を中心に」(“Post-World War 2 migration on display: a comparison of museum practices in Japan and Germany”)

今回の滞在において、私はポーランドのヴロツワフ、ドイツのボン(ケーニヒスヴィンター)、マールブルクの三都市で資料調査を実施した。研究課題名は「ドイツ・ポーランド境界地域の史的研究―20世紀のシュレージエン/シロンスクを中心に」というものであり、中心的なテーマが2つある。ひとつは戦間期のシュレージエンにおける分離主義運動である。第一次世界大戦後の当該地域でドイツ、ポーランド、チェコスロヴァキアから独立した新国家「オーバーシュレージエン自由国」の建設を目指したグループ、「オーバーシュレージエン人同盟/グルヌィシルンスク人同盟」の活動を分析するものである。これは近年注目されている「シュレージエン人」を含めた複合的な立場から歴史を捉えようとする試みである。二つめに、戦後のシュレージエンにおける住民移動の研究である。日本ではドイツ史の観点から「ドイツ人の追放」については幾つかの研究があるが、ポーランド史にとって重要な「送還」問題はほとんど知られていない。「送還」とは、「ドイツ人の追放」によって空いた土地に、現在のウクライナ西部やポーランド東部から数百万のポーランド系住民が移送させられた出来事を指す用語である。現在の中東欧の住民構成を作り上げたのはこの全体的な住民移動であり、それは必ずしも「ドイツ人の追放」だけで理解することはできないだろう。今回の調査では、特に戦後の住民移動についての基礎文献を網羅的に収集しようというのが大きな目的であった。

この資料収集に関して、ポーランドとドイツの全ての滞在地において大きな成果が得られた。最初の訪問地では、ヴロツワフ大学図書館を主な調査地としたが、ここには膨大な数の、ポーランド語による「追放」と「送還」の研究書や史料集が所蔵されており、それらの閲覧とコピーを行った。次に、ドイツ・ボン近郊の「ハウス・シュレージエン」を訪問した。この施設は、1970年代後半にシュレージエンからの「被追放民」たちによって建設された展示・研修施設であるほか、図書館や資料庫も併設されている。ここでは、そのような施設の建設された歴史的特性を活かし、「戦後の西ドイツ社会におけるシュレージエンからの被追放民」に関する史資料を閲覧・収集した。最後の資料収集地となったのは、マールブルクである。この都市にはヘルダー中東欧史研究所という施設があり、その附属図書館にはドイツ語で書かれた中東欧史に関する膨大な文献が所蔵されている。私はこの図書館で、戦間期の分離主義運動についての文献収集を行うと同時に、戦後の住民移動を研究する上での必須文献の収集に注力した。例えば、『ヨーロッパ東方のドイツ史シリーズ』、『オーデル・ナイセ以東のドイツ人:1945-1950』(ドイツ語・ポーランド語)などの文献は、日本の大学ではほとんど所蔵のない貴重なものである。

11月5日には、ルール大学ボーフムのセミナーにおいて英語での研究発表を行った。このセミナーは、本プロジェクトのアドヴァイザーであるステファン・ベルガー教授のゼミの時間を使用して実施されたものであり、参加学生を含めて活発な議論がかわされた。私の発表タイトルは「第一次世界大戦直後のオーバーシュレージエン/グルヌィシロンスクにおける分離主義運動の展開――オーバーシュレージエン委員会とカトリック聖職者トマシュ・レギネクを中心に」であり、第一次世界大戦後のオーバーシュレージエン/グルヌィシロンスクにおいて発生した分離主義運動を、先行研究で言われているような言語的・民族的原因や現地資本家の論理からだけでなく、その指導者であるトマシュ・レギネクという人物のカトリック的な世界観から説明しようとしたものである(詳細については別紙発表原稿参照)。この私の発表に対し、ベルガー教授などから厳しい意見・質問を頂くことができ、今後研究を発展させていく上で貴重な機会となった。今回のセミナーでの経験を、今後の研究に生かしていきたい。

2018.10.31/
11.03
ニコライ・コポソフ教授連続セミナー

2018年10月31日(水)並びに11月3日(土・祝)、ニコライ・コポソフ教授による連続セミナーが行われました。セミナーの内容は以下の通りです。

  • 主 催
  • NHCM
  • 共 催
  • 京都大学人文科学研究所「21世紀の人文学----Our Ageを問う」研究班
    ロシア史研究会(ロシア史研究会11月例会を兼ねる)
    日本学術振興会・科学研究費補助事業「1970年代以後の人文学ならびに芸術における語りの形式についての領域横断的研究」
  • 会 場
  • 京都大学人文科学研究所セミナー室4
    東京大学本郷キャンパス法文1号館2階 215番教室
  • 報 告
  • 《京都》Multi-Memorism and Law
    《東京》Battles over the Past in Putin's Russia

2018年10月26・27日にソウルで開催した国際会議"Negotiating the Time"で報告していただくために招聘したニコライ・コーポソフ教授(米国エモリー大学客員教授)に日本にも来ていただき、京都と東京で連続セミナーを開催した。ロシアのプーチン政権が旺盛に繰り広げる歴史政策へのもっとも手厳しい批判者であるだけでなく、歴史と記憶の政治利用をめぐって、とりわけ過去をめぐる特定の見解の表出を犯罪化して処罰しようとする「記憶法」の全ヨーロッパ規模での広がりについて包括的な分析と深い哲学的思索を重ねたきた教授の講義は、「グローバル社会におけるデモクラシーと国民史・集合的記憶の機能に関する学際的研究」と銘打った研究プロジェクトの掲げる目標に近づく上で裨益するところきわめて大と考えたからである。Память строгого режима: история и политика в России. (М., 2011) [『厳戒の記憶----ロシアにおける歴史と政治』]およびMemory Laws, Memory Wars: The Politics of the Past in Europe and Russia (Cambridge University Press, 2017) という二冊の著作を読むことで、教授の学識の広がりと深さは十二分に感じ取ることができるが、国際会議および二つのセミナーで語られた内容とそれを受けた討論のなかでの精力的な応答は、そうした期待に違わぬ豊かな知見を与えてくれるものだった。該博な知識に裏付けられた鋭利な批判的精神を体現する話し振りからは、今や死語と化したかのようなロシア・インテリゲンツィアの気風がいまなお脈々と受け継がれていることを感じることができた。

10月31日に京都大学人文科学研究所で行われたセミナーの講演はMulti-Memorism and Lawと銘打ち、Memory Laws, Memory Warsで詳述された内容を簡潔にMulti-Memorismの一語に託して論じたものであった。「記憶と法」はここ2〜3年前からいわゆるメモリー・スタディーズの深化とともに注目を集める新分野だが、これを開拓してきた主導的学者としてのコーポソフ教授の面目躍如の感があった。そこで「記憶法」は「ヨーロッパ全土の様々の国民社会national communitiesの内部および相互間で戦われる記憶戦争の武器と化した」と断じられ、もともとホロコースト否定論の違法化と処罰という(西側の自由民主主義/資本主義の立場からみて)正当な目的のために開発されたこの種の法が、奴隷貿易や第一次世界大戦時のオスマン帝国によるアルメニア人虐殺、さらに社会主義の体制犯罪など異なる文脈にあるさまざまの過去の非人道的行為にまで置換・拡延されて増殖するなかで意味変容を遂げ、いつしか諸国民間の異なり相容れない記憶をめぐる争いの焦点と化したことがあぶり出されている。それがポピュリズムの高揚と歩を一にしていることを見て取るのはたやすいし、そのことが、ヨーロッパの東西における地政学的分断をもたらしていることの指摘も重要だろう。このような展開の初発の時点において、「ホロコーストのアメリカ化」とアメリカ・ユダヤ人のアイデンティティの危機、公民権運動で高まりを見せたブラック・パワーなど、総じて「アイデンティティの政治」として語られてきた契機が作動していたとの指摘は実に印象深かった。リン・ハントは『グローバル時代の歴史学』(長谷川貴彦訳、2016年)のなかで、1970年代以来の歴史学を形作った四つのパラダイムの一つに「アイデンティティの政治」をあげていたが、グローバル化したポスト冷戦時代におけるナショナルなアイデンティティの空洞化への危機感とともに、かつて歴史を突き動かし正義の実現をめざしたこの運動が逆作動ないし致死的な副作用をもたらし始めたということなのだろうか。歴史と記憶を通じて喚起されるナショナルな狂信的熱情が紛争化の誘因になりうることは私たち自身が近隣諸国との間で日々目撃しているところであるが、その法的次元の表現としての記憶法の抱えたジレンマを開示した点に、もっとも重要な提起があったように思われる。そうした動態を顧みることなくステレオタイプ化された「過去の克服」と「記憶文化」に追随する風潮には、深刻な見直しが迫られることであろう。

他方、11月3日に東京大学で開催したセミナーでは、直截にBattles over the Past in Putin's Russiaと題して、時とともにポピュリズム的で権威主義的な性格を強めるプーチン政権下の歴史・記憶政治の展開を解剖する試みがなされた。先にコーポソフ教授をプーチン政権へのもっとも手厳しい批判者として紹介したが、その毅然たる姿が筆者の目に焼きついたのは、2000年代末に始まり2014年のウクライナ危機直後に一気に結着したロシア版「記憶法」制定をめぐる政治的展開の中でのことだった。法制定を厳しく批判する論陣を張り続けるその孤高の姿勢が人生の苦難を呼び寄せるであろうことが容易に推察されたが、しかしこの展開こそが、上述のような全ヨーロッパ規模での「記憶法」制定をめぐる政治過程の包括的な歴史的検討に向かわせることになったのだろう。東京での講演は、まさにそのロシア版記憶法の制定に到る道程を解明することに主眼が置かれていた。その要旨を筆者の理解も交えてまとめると以下のようになろう。

もとより、ソ連時代にもながく歴史は極度に政治化されていたし、とりわけペレストロイカ期には、それまでとはヴェクトルを逆にして政治的に動機づけられた過去の見直しが進み、それまでの正統的歴史像の脱構築と再編が必然化した。他方、ソ連解体後に歴史は比較的後景に退いたものの、政治的・経済的危機のなかで政権の座についたプーチンにとっては、ペレストロイカ期とは異なる形で過去の資源化が大いに意味を有することになった。スターリンへの肯定的評価を含む旧体制ヘのノスタルジア、「大祖国戦争」の気高い犠牲と栄光の記憶などが政治的に動員されて過去の見直しが進み、とりわけ「戦争神話」が他の記憶を押しのけて中核的な位置を占めて、それが政治・外交上重要なアジェンダとなった(余談だが、この文章を書いている数日前にもラブロフ外相が日露平和条約締結に関連して「第二次世界大戦の結果の承認」に言及したことが報じられている。ずっと繰り返されてきたこの言葉の重みは、プーチン政権の歴史政策の全体像の中で理解されるべきである。にもかかわらず、おそらく日本の為政者はそのことをまったく理解していない)。こうして構築された戦争神話はとりわけヨーロッパの国際政治におけるロシアの立場を正当化し、とくに東欧諸国との関係で重要な意味を与えられるとともに、それがロシアと東欧(とくにウクライナ、ポーランド、バルト諸国)との関係において争点化/紛争化され、さらに「アメリカが率いる西側の対ロシア十字軍」における要素としてとらえられることにもなった。そうした文脈のなか歴史政策においてヤルタやニュルンベルクがシンボルとして浮上し、さらに終着点として登場したのがロシア版記憶法である。頻用されているわけではないが、この法により大祖国戦争におけるソ連の役割を侮辱する発言が現に裁かれる事態も生じている。

いずれのセミナーでも、講演に刺激された議論は多岐にわたり興味深かったが、とりわけ東京のセミナーにおける討論は参加者の少なさにもかかわらず、ロシア史研究者の集まりという専門性の高さゆえに密度の濃いものとなった。とくに、ソ連時代以来、ホロコーストを唯一無二の人道犯罪としてある意味特権化して扱う西欧と異なり、これをその他のナチ犯罪から切り離して扱うことを拒否してきたロシアでホロコーストの位置づけが大きく変化したことは、ロシア・ユダヤ史研究の観点からも注目すべき点で、かなりの時間を割いて精細に議論された。モスクワにユダヤ博物館が設立されたことは日本の関係者のあいだでも驚きとともに認識されていたが、ブリャンスクにはホロコースト犠牲者のモニュメントが設置されたという。教科書記述や政治家の発言などにもそうした変化は反映されているという。これが何を意味するのかは難しい点だが、ひとつ重要な観点として提示されたのは、欧州統合のなかで西欧的基準に立ったホロコースト責任に向き合うことを迫られてしぶしぶこれを受け入れながらも、しばしば責任回避の素振りを見せるポーランドやバルト諸国にたいする牽制の意味が含まれているのではないかという点である。中近東情勢へのロシアの関与の深まりもこのことには関係しているかもしれない。ここでもホロコーストは極度に政治化された形で利用されている。また、中東欧の右翼政権とプーチン政権との関係という観点からも歴史政策が有意であることも指摘されてきた。プーチン政権の世界戦略を考える際に、歴史政策が抜かすことのできない重要な要因であることがここからもうかがえる。

最後に連続セミナー開催に際して京都大学人文科学研究所の研究班「21世紀の人文学-Our Ageを問う」(およびJSPS科研費「1970年代以後の人文学ならびに芸術における語りの形式についての領域横断的研究」)とロシア史研究会に共催団体としてご協力いただいた。記して感謝申し上げる。  

2018.10.26-27
国際カンファレンス "Negotiating the Time"
  • 場 所
  • ソガン大学 キム・デゴン館 部屋番号:518
  • 主 催
  • Korean-Japanese Forum of Western History
    Interdisciplinary Research Project on the Function of National Histories and Collective Memories for the Democracy in the Globalized Society
    (NHCM/グローバル歴史・記憶研究プロジェクト)
    Critical Global Studies Institute
  • 司 会
  • Satoshi Koyama(Kyoto University, Japan)
    Nobuya Hashimoto (Kwansei Gakuin University, Japan)
    Lim Jie-Hyun (CGSI)
  • 報 告
  • ▼Keynote speech
    ● Naoki Sakai (Cornell University, USA)
    ---Time as Progress and the Nationalism of Hikikomori (reclusive withdrawal): From an Outward-Looking Society to an Inward-Looking One

    ▼Session 1 Historicizing the Time?
    ● Stefan Tanaka (University of California San Diego, USA)
    ---The Transience of Historical Time
    ● Taisuke Nagumo (Yamaguchi University, Japan)
    ---Two 'Late Antiquities' since 2015: Reconsidering the Periodization from Antiquity to the Mediaeval Ages

    ▼Session 2 Politicizing the Time?
    ● Nikolay Koposov (Emory University, USA/Russia)
    ---Populism and Memory: The Politics of the Past after the Death of History
    ● Han Sang Kim (Ajou University)
    --- Beyond Frozen Time: Excavated Film Footage and the Politics of How to Use It

    ▼Session 3 Colonializing the Time?
    ● Hunmi Lee (CGSI, Sogang University)
    --- Time For Change: International Political Discourse in the Record of the Sino-Japanese War 1894-1895
    ● Yuto Ishibashi (Chuo University, Japan)
    ----Time Standards for the British Empire: Colonial Astronomical Observatories and the Transfers of Time-signalling Technologies
  • 討議者
  • Kyunghwan Oh (Sungshin University)
    Seok-jin Lew (Sogang University)
    Stefan Berger (Ruhr University of Bochum)
    Toshie Awaya (Tokyo University of Foreign Studies)

 2018年10月26日から27日にかけて、韓国・ソウル特別市にあるソガン大学(西江大学校)において国際カンファレンス“Negotiating the Time”が開催された。本会議では歴史学における「時間」に焦点を当て、計7本の報告が行われた。基調講演の酒井直樹氏は日本の近代化について、後代におけるその認識の変化と日本のナショナリズムの傾向から論じた。誇るべき近代化・外向的な日本を好ましく思う姿勢は明治維新から100年後の1960年代の日本においても生き続け、その典型的なナラティヴとして酒井氏は司馬遼太郎の『坂の上の雲』を取り上げた。その一方、1990年代以降の外国への留学生数の減少などを例にし、日本社会の「内向化」を「引きこもり」という言葉で表し、その中で増加する移民反対の声などに見られるナショナリズムの高まりは国外からの侵入に対する幻想的な恐れに基づくものであると述べた。外界に恐れを抱き、部屋から出てこない青少年を示す「引きこもり」という言葉は、近代化から150年経った現在の日本社会の変容を表すに相応しい言葉であるといえるであろう。また、社会性までも変質させてしまう「時間」の問題を日本の事例から明解に説く本報告は、皮切りとして相応しいものであった。
二日目に行われた個々の報告は、凡そ近代以降という時代設定のもと、「歴史的な時間」、「政治的な時間」、「植民地的時間」といった三つのセッションの中で行われた。歴史学における時間の認識(直線的な時間から科学的時間へ)、時代区分論における後期古代(Late Antiquity)の概念の導入とその流動性、近現代の政治と「記憶」の問題、後代における記録メディアの政治的利用(特に動画と写真)、日清戦争の記録(『中東戦記本末』)の改訂・翻訳出版に見える当時の東アジアの権力構造、そして大英帝国による植民地の時間支配(GMTの創設)など、時間や記憶に関連し、多岐にわたる報告となった。また、それに付随した議論もハイレベルなものとなり、会場は二日間に渡って白熱した。筆者は11世紀以降のいわゆる中世と呼ばれる時代の北欧の関係史を専門としているが、本会議でしばしば提示された時間の認識や記憶と政治、そして強国による時間の支配というとらえ方は目新しく、そして中世史の研究においても無視はできないものであると感じた。
さらに、本会議において注目すべきは韓国で歴史を学ぶ学生の参加率の高さである。全ての進行が英語で行われる中、多くの韓国人学生が会場運営・聴衆として参加し、熱心にメモを取る姿が印象的であった。一方、日本側の学生参加者は数が少なく、言を借りるならば、日本人の「引きこもり」姿勢が現れた印象を受けた。本会議で取り上げられたいずれの問題も、歴史学を学び続ける上で重要なものである。現役の研究者だけでなく、これから研究者になることを志す学生も積極的に意識を向けるべきであろう。

2018.06.16
『せめぎあう中東欧・ロシアの歴史認識問題』 合評会

2018年6月16日、早稲田大学16号館106教室で橋本伸也編『せめぎあう中東欧・ロシアの歴史認識問題----ナチズムと社会主義の過去をめぐる葛藤』(ミネルヴァ書房)の合評会が行われました。合評会の内容は以下の通りです。

  • 主 催
  • 東欧史研究会
  • 共 催
  • 現代史研究会
    NHCM(グローバル歴史・記憶研究プロジェクト)
  • 評 者
  • 西山暁義(共立女子大学) 
    篠原 琢(東京外国語大学)

6月16日、東欧史研究会、現代史研究会およびNHCM共催による『せめぎあう中東欧・ロシアの歴史認識問題——ナチズムと社会主義の過去をめぐる葛藤』(橋本伸也編、ミネルヴァ書房、2017年)の合評会が早稲田大学にて行われた。評者の西山暁義氏(共立女子大学)と篠原琢氏(東京外国語大学)はともに、本書だけでなく関連図書である『記憶の政治——ヨーロッパの歴史認識紛争』(橋本伸也著、岩波書店、2016年)や『紛争化させられる過去——アジアとヨーロッパにおける歴史の政治化』(橋本伸也編、岩波書店、2018年)などにも言及しつつ批評を行った。
西山氏はまず、本書の利点として、歴史・記憶が政治的、社会的力学の中でどのように形成され、変容してきたのかを示した点、「美談」として回収されることが多いヨーロッパの歴史認識問題においても対立や紛争が広く存在することを提示した点、そして一括りにまとめて論じられることが多い中東欧地域を各国別に見ることで地域内の多様性にも目を配っている点を挙げた。最後の点に関しては、篠原氏も、中東欧地域における「記憶政策」を各国別に総覧した点が本書の意義の一つとして挙げられると指摘した。篠原氏はまた、本書が「文化的記憶」や「政治的記憶」を支えるプロットと、それを支えるグローバルな連関を明らかにしようとしている点にも意義があるとした。
本書は、中東欧では民主化に際して新たな歴史像の構築(「マスター・ナラティヴ」の開発)が必須であったことを指摘する(7〜9頁)。これについて、西山氏は、国民国家という枠組みが未だ強固であり、その枠組みの内部においては対立する記憶が存在しつつも統一的な記憶も求められていることに触れた。篠原氏は、イデオロギーの影響力が弱まった1980年代においてイデオロギーに代わって歴史記憶が導入されたことと関連して、1970年代より異論派知識人らが過去の記憶を呼び起こそうとしていたことも紹介した。
また、中東欧諸国が「一人前のヨーロッパ国家」としてホロコースト問題に取り組むことが求められたことについても評者の二人から議論がなされた。ホロコーストの位置づけは戦後のある時期までは異なっていたことを篠原氏が指摘し、これに対して編者の橋本氏も、共産主義体制による自国民/自民族の犠牲を描き出す際にホロコーストが参照点となっていることについて、ヨーロッパおよびグローバルな文脈においてホロコーストが参照点となされるようになったこと自体の政治性も問い直す必要があると提起した。
そのほか、西山氏は各国の歴史博物館が歴史記憶を表象する場であるだけでなく歴史政治におけるアクターともなりうる点を指摘した。また歴史教科書の問題や二国間歴史家委員会の諸事例、さらには新自由主義との相関性などにも触れた。そして最後に、歴史家が本書で扱われている問題などにどう取り組むべきなのか、歴史家の役割とは何かという点にも言及した。民主化と新自由主義の問題や歴史家の役割に関しては、その後の議論の中で編者や分担執筆者らからもコメントがなされた。
この合評会で評者の二人は、個別の論考に対してそれぞれコメントするのではなく、本書が扱うテーマを整理しつつ、歴史記憶の問題に関連して評者が重要であると考える論点をさらにいくつか提示することで議論を行った。そのため、中東欧における個別の事例に関する議論は多くなかったが、本書および関連図書全体のテーマについて広く議論する様子からは、歴史記憶が政治化する状況に対して評者らがこれまで歴史家として考えてきたことの一端も見えたように思う。そのため今回の合評会は、歴史研究に関わる者として歴史記憶の問題に対してどのようなスタンスをとり、問題とどのように関わっていくべきなのかについても改めて考えさせられる機会ともなった。